齋藤齊 (輔仁大學跨文化研究所博士生)

凛として赫奕(かくえき)たり

湯廷池先生にお目にかかる機会を得て、台北市内のお宅に趙順文先生とお訪ねしたのは、1997年初春だったと思います。先生と直接お話を交わしたのはその時の二時間ほどでした。先生は、わたくしが日本の『言語』という雑誌に連載していた「台湾言語戦争四百年史実録」他五編を清華大学言語学研究所1996年度教育部漢語方言研究著作奨励に選んでくださり、国科会プロジェクト助手へご推薦くださいました。後日、本案件は申請が取りやめになり、残念ながら直接先生からご指導を受ける機会は永遠に逸してしまいました。

 当時、彫刻家楊英風先生の秘書として19978月の箱根彫刻の森美術館の『楊英風展』の準備に忙殺されており、わたくしは楊先生の最後のご著作『大乗景観論』の日本語版をまとめておりました。

楊先生には「有容乃大」というブロンズ作品がございましたが、この比較的漢語世界では流通している四文字言葉には、日本語の定訳がありませんでした。古典文というより明清の近世のことばで「海納百川有容乃大」から来ており、「様々な考え方を受け入れる大海のような心の寛容をもつことを東方の美徳とする」ぐらいが思想を説明した翻訳になります。しかし、この四文字を一言で言い切るには、思いつく漢文訓読がどれも大仰すぎてそぐわないように感じておりました。

そこで当時、上記の件でお近づきを得た湯先生先生になにかしっくりと心に届く和訳がないかをご相談申し上げたわけです。先生から頂戴した訳文は「容れるところ有りてこそおおきし」と言うものでした。頭から読み下していく気持ちのいい訳でございまして、なんと言っても最後の「し」の音感が心地よい輝きに満ちて残響がさわやかでございます。

古語の「し」については、伊勢物語にある歌で「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」というものに前例があります。誰もが知っている和歌ですが、ほとんどの方が「し」については見過ごしています。在原業平が当時の京都からすればとんでもない世界の果てのような関東の隅田川で歌った歌です。業平は「名に負わば」と言わず、あえて「し」を入れて耳にここちよい違和感をのこさせるのですが、先生のお示しになられた「容れるところ有りてこそおおきし」の語尾の余韻が、まさにあの「し」でした。先生のお話になられる日本語はかくも美しく珠玉のような輝きがございました。凛として赫奕たらんとするやまとことばの余韻でございます。

 上記展覧会期間中に楊英風が急逝して、わたくしも傷心帰国、大連へ移住ということで爾後二十数年台湾とは縁が切れておりました。2017年に北京で偶然楊家ご家族と係りができ、その縁から台湾を再訪、20185月に輔仁大学跨文化研究所の湯廷池先生の御講義に飛び込み参加させていただきました。ご挨拶だけ、聴講のみで帰ろうと思っておりましたところ、わたくしの事を覚えておいでで、両親ともに養子で外曽祖父の継嗣として育ったわたくしの家庭状況まで即座に思い出されたのには驚きました。

 二十年ぶりにご尊顔を拝して、改めて先生のお使いになられる言葉一つ一つに感じるものがございました。上記賞を頂いた小文のなかで、わたくしは「客家方言島」のことについて若干触れたのでございますが、当時の台湾では農村部の至るところに「言語島」がありました。湯先生が清華大学言語研究所に博士課程院生として迎え入れた洪惟仁先生が、昨年三十年の研究の満を持して『臺灣社會語言地理學研究: 臺灣語言的分類與分區+臺灣語言地圖集』を上梓されました。地図帳のなかでは方言島の数々が、翡翠の輝きのように地図を飾っております。多くの台湾人にとってその実態が初めて可視化された「言語島」ですが、その「貴き存在意義」を思うとき感涙を禁じ得ません。

 思えば、湯先生もそうした「言語島」でいらっしゃった。先生のお言葉の凛として毅然たる崩れない「ことのは」は、漢の気概がございました。近代の目にゆがんだ後学たちが評していう「優勢への同化」というような軽薄なありかたではなく、赫奕たる光をはなつ漢たちが満天下にあふれ屹立し天を支えていた時代がございました。洪水のように強勢の潮流が周囲を包んでも、凛としてその孤塁を守り通した「言語島」そのものが湯先生の珠玉の「ことのは」であったようにわたくしには感じられてなりません。

 先生の揺籃の地である新竹中学もまた台湾における知の孤塁を凛として保った「言語島」でした。その卒業生の方々だれもが懐かしそうに語る思い出に、音楽の授業で合唱練習曲として課せられるバッハ『ミサ曲ロ短調の終曲』がございます。欧州の新旧の宗教的な対立の中で、プロテスタントの海のドイツで忽然とカトリックのラテン典礼文でバッハが作曲した「言語島」の一節を先生とのお別れに捧げたいと思います。

Dona nobis pacemドナ・ノビス・パーチェム

先生のたましいの平和たらんことを。
後学 齋藤齊 輔仁大学跨文化研究所博士班博士生